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近年テレビなどで謝罪会見を見る機会が非常に増えたと感じているのは共通の認識ではないだろうか。原稿棒読みの説明、時間切れまで事務的に淡々と会見が終わるのを我慢している者、感極まって泣いて詫びる経営者、質問が途切れないのに強引に引き上げるなど、さまざまな映像が目に飛び込んでくる。

しかし残念ながら謝罪の意を感じられるものは多くない。

まず何故謝罪会見が増えたのか。これは単純に偽装や事件事故などの不祥事の案件が増えた、或いは報道側の取材力が向上したという理由では納得がいかない。恐らく、単純に謝罪すれば良い、早期に謝罪してしまえばその後追及されなくて済むという安易な考えが浸透しているせいではないだろうか。実際、如何にも安易な考えで謝罪会見に臨み、なおさら企業価値を下げているところも少なくないと感じている。

そして謝罪の意が感じられないのも前述の様な、如何に会見をこなすかとしか考えてないからではないだろうか。会見場にいる記者に対して表面的に謝っているとしか思えない。謝罪は本来、被害者にするものであり、意思表示として大事なのは、それに加えて“二度と起こさない決意”ではないだろうか。

会見時のポイントを抑える、会見の流れやメディア対応のテクニック、第三者からの視点などのアドバイスをPR会社に頼るのも一つの手ではある。これがあるなしでは結果に差があると言えるが、それに頼り切ってしまうのも謝罪の意が伝わらない原因でもあろう。不器用であっても、謝意や今後の決意を伝えることに注力する方がまず重要である。

記者は、「仏を作って魂入れず会見」だと、魂が入っていないことを報道する。早期に会見を開き、火消しをするとの思いが、本当の有事を招くことを認識すべきであろう。

広報92箇条 謝罪の本質をまず考えるべし


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